2023.04.10社長ブログ

タイミング

四月も10日ともなり、東京では桜花も春の嵐で散り急ぎ、それにも耐えた桜花は名残り惜しそうに若葉と同居しながら頑張っています。その下ではこちらも名残りのお花見の宴が開かれています。

このところ、冬の季語でもある三寒四温を地で行くような日が続いていました。ようやく嵐が去り夜遅くには青空も幾分取り戻したのが、先週末の土曜日でした。部屋の窓から身を乗り出すようにして、夜空を見遣れば、風の冷たい天空には、久し振りに見る月が丸く白く輝いています。それを遮るかのようにして飛ぶ千切れ雲も、寒そうにして速度を早め流れて行きます。きっと上空には強い寒気団が入っているのでしょう。

本日も、小生のブログにアクセス頂きまして、ありがとうございます。

でも、昨日など昼下がりの公園をそぞろ歩けばチューリップは、だれ気味に、つつじは待ってました! とばかりに、せっかちなあやめは、待ちきれないと急いで花を付けだしました。
しかし、夜になれば急に冷え込む気温差に、少し早すぎたかと後悔しているかもしれません。
実際にタイミングを合わせると言うのは、なかなか難しいものですね。

大規模な金融緩和を続けてきた、日銀の黒田総裁が8日(土)に退任し、経済学者の植田新総裁が9日(日)後任として就任しました。どちらも休日のできごとでした。
今日から本格始動の植田総裁日銀新体制ですが、難しい次期の船出となりますね。今迄の緩和姿勢は副作用も出始め、だれ気味だし、あまりせっかちに引き締めれば、かなりの犠牲を伴うはずだし、待ってましたと言うような政策は、世界経済混迷の中では、なかなか見つからないのではないでしょうか。
市場は新体制のもと「適切なタイミングで」、バランスの取れた金融政策のもと、軟着陸を期待しているのだと思います。

なんとなく今起きつつあることが、デジャブ(既視感)のように感じます。そう、もう4~50年も前になるでしょうか。
私が20代後半の頃に起きた第1次、第2次石油ショックを思い出します。当時(1973年)今のロシア・ウクライナ戦争のように、中東湾岸での戦争が切っ掛けとなっています。
1次では石油価格が70%も一気に上がり、その後国際原油価格は3ヶ月で4倍となりました。2次では僅か3年で2.5倍~3.0倍になったと言われています。
当時(1次)、田中角栄内閣の通産大臣であった中曽根さんがテレビで「紙の節約」と国民に向かって放送したところトイレットペーパーから始まって、日常生活用品が全て商品棚から一時的になくなりました。
丁度コロナ禍のマスクや日用品に似ています。

そして当時は石油関連商品から始まって、狂乱物価でインフレとなり、賃金も一気に上がりました。田中角栄首相の「日本列島改造論」で不動産バブル、株バブルも出現しました。勿論日銀の資金供給も充分過ぎるほどに行われ始めたのです。この資金供給は当時石油ショックに対応するため、グローバル的に行われました。

それでもその頃日本は高度成長期(1955年~1973年)の、19年間に及ぶ年平均約10%の成長の余韻の中で余裕があり、石油ショックを期に成長には一時的にストップがかかりましたが、タイミングよく世の中の変化に合わせ、日本はいち早く省エネ製品づくりに取り組みました。そのお蔭で、世界をリードするまでになって行くのです。
このことは、「前事不忘、後事之師」として、タイミング良く適応すれば、今回のアフターコロナ経済にも生かされるのではないでしょうか。
この話の続きは4月13日(木)の、「ボンド社長ウェビナー」で皆さんとお話するのを、楽しみにしています。

ウェビナーのお知らせ
4月13日(木)19:00~20:00
お題は「金利上昇と金融緩和の行方」です。

Zoomミーティングに参加する

https://us02web.zoom.us/j/84331750580?pwd=US9nY2RVZGd4Skl5SkpzWlRGSjlEQT09

ミーティングID: 843 3175 0580
パスコード: 991557





         本日のボンドランチ
      どのタイミングで食べ合わせるか
          それが問題だ!

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