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歴史を遡りますと、ちょうど92年前(1932年7月8日)、米国のダウ平均株価が世界大恐慌時の最安値となる41.22ドルを記録しました。大恐慌直前(1929年9月3日)の最高値である381.17ドル(1954年11月までの25年間更新なし)に比べて大幅に値を下げています。当時、日本では前年の1931年に昭和恐慌が終わり、欧米に先駆けて景気回復がはじまろうとしていました。一方で、恐慌時の政情不安に乗じて軍部も台頭しています。大陸進出に活路を見い出だそうと、1931年9月18日、満州鉄道線路爆破事件をきっかけに関東軍が軍事行動を起こす、いわゆる満洲事変が勃発し、戦争へのめり込んでいきました。
その大恐慌の最中、米国ネブラスカ州オマハで父ハワード、母リーラの長男として生まれている(1930年8月30日)のが、投資会社であるバークシャー・ハザウェイを率いるウォーレン・バフェット氏です。今年5月初旬、オマハで同社の年次株主総会が開かれ、世界各国から4万人の株主が集まりました。バフェット氏のビジネスパートナーであった副会長のチャーリー・マンガー氏が昨年11月に99歳で亡くなり、また、バフェット氏が来月30日で94歳を迎えることを考えると、同社はそう遠くない将来、指導者の交代に直面ことは間違いありません。株主総会でも、「(バフェット氏の後任とされる)グレッグ・アベル氏がいつごろCEOを引き継ぐのか、めどを教えて下さい。」という質問が株主からなされました。これに対してバフェット氏は、「どこかの会社に入って4年雇用契約するのだったら長すぎる。」と回答しています。この3年くらいのうちに、新たなCEOが誕生するのではないでしょうか。現在、アベル氏は保険以外の鉄道やエネルギーの事業のトップを務めています。「バフェット氏が担っていたような投資先の選別も引き継ぐのか。」という株主の質問には、「事業ができるCEOは株式の投資選別の力もある。」と、バフェット氏は回答しました。株主総会の最後に、来年の株主総会にも出席するとバフェット氏が宣言し、4万人の株主から拍手喝采を浴びています。
バークシャー・ハザウェイは日本の商社株の保有を引き上げているところです。4年前のバフェット氏の誕生日の翌日、商社5社の保有が明らかになったときには、大きな話題となりました。当初は発行済み株式数の5%程度でしたが、一昨年11月に6%台、昨年6月に8%台、今年2月の「株主の手紙」では9%程度まで高めたと記載しています。9.9%までは買い増す余地があるようです。バークシャー・ハザウェイは投資会社と事業会社の2つの顔をもち、エネルギーや鉄道の事業を手掛けていることから、投資先の商社を、自社と似ていると評価しています。
さて、その投資先の1社であり、不祥事で経営難に陥ったビッグモーターの買収でも注目を集めた伊藤忠商事が、今期から3ヵ年の中期経営計画の公表をやめました。代表取締役 副社長執行役員CFOの鉢村剛氏は、日本経済新聞社のインタビューで、「不確実性が極めて高い3年先からバックキャスティングして物事を考えても市場に正しいメッセージを与えることにはならない。ただ少なくとも財務戦略は一定の数字を出さないと市場の信頼を得られないと考え、長期方針として『総還元性向40%以上、配当性向30%または1株当たり配当200円の高い方』という定量目標を示した。」、「数字の裏にはROE15%以上、年平均利益成長率10%以上という前提があり、実現できるし実現すべきだ。自己資本を小さくするのは本筋ではなく、利益成長でROEを高く維持していかなければならない。」と述べています。弊社は一昨年5月、2022年9月期から2026年9月期までの5ヵ年を対象とした中計経営計画を公表しました。確かに、5年先からバックキャスティングして物事を考えることは容易ではありませんが、地方自治体などから長期にわたって安定な家賃収入を得られるマンション賃貸事業を中核に置き、計画達成に尽力して参りますので、これからも、どうぞ弊社にご注目下さい。