ここ最近は午前中から気温は真夏日となり、午後には猛暑となって、夕方は少し冷たいような風が吹きだすと、まもなく大粒の雨が降り出します。カバンに入れてある折りたたみ傘を急いで開いた時には、既にズブ濡れとなり、風も混じれば傘も役に立たないようなゲリラ豪雨です。
コンビニで雨宿りと思い、入ろうとすれば、店内外の温度差と湿気で、入口ドアーは結露でまるで曇りガラスのように中の様子はハッキリしません。小生は早目に入店したらしく、お客は2~3人しかおりませんでしたが、稲妻が光り、叩き付けるような大雨と雷鳴の後には雨宿り客が続々と入ってきます。
20~30分後には通り過ぎたようなので、直ぐには必要ないのですが歯ブラシを、雨宿り代として、少しまとめて買い求め、外に出れば、黒い雲塊の隙間から薄雲を通して月明りさえ見えます。
でも風はまだ気ままに、強弱をつけながら吹き過ぎていきます。
24日(土)は遅い起床でしたが、まだ真夏日とはなっていないようなので、お客さまから頂戴したチケットが2枚ありますので、一人誘って上野の東京国立博物館(平成館)で開催されている、創建1,200年特別展、空海と真言密教のはじまり「神護寺」を、観に行くことにしました。
やはり午過ぎともなれば、久し振りの博物館見学も空にはまだ積乱雲に、なり切れていない白い雲がなびいて、猛暑日になるのは間違いなさそうです。
その日は、直射日光を避け、日陰伝いに、本館をやり過ごして、斜め裏にある平成館まで行くのですが、行き交う外国人の多さに驚きです。日本人でも理解し難い約1,200年前の日本の宗教に興味があり、しかもこの暑い中、見学に来ようとする姿には敬服の至りです。
2Fに展示されているのですが、小生らも管内に入れば写真撮影、私語は禁止で、人は多いものの、広いスペースと高い天井には静粛が満ちています。館内はほのかな明るさで、展示物のところだけが、強烈な光線でライトアップされていました。
展示物は彩色きらめく平安仏画、空海の直筆の密教儀礼、灌頂(頭に水を注ぐ儀式)の受法者名簿、さすが空海さま、当時の三筆と謳われた素晴らしい文字(漢字)です。
また国宝の両界曼荼羅(空海が筆入れ)も、大迫力で観る者を圧倒します。中でも秀逸なのは、なんと言っても彫刻の数々です。どれをとっても至宝に違いないのですが、より中央に展示された奈良時代末期から平安初期に創られたご本尊「薬師如来像」と「日光菩薩像」「月光菩薩像」の三体は、それこそいつまでも観ていたい仏さまたちでした。しかも同じ仏様を空海も見つめていたのかと思えばなおさらです。
十分に堪能した後、上野公園を横切り、動物園を横目に見て、公園内にあるレストラン精養軒で、遅いランチと共に神護寺の展示物について色々話しているうち、日も翳り始めます。
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さて、空海が活躍していたこの頃の我が国の経済はどうだったのでしょうか。
あの有名な708年の和同開珎から963年にかけては、12種類の銅銭が製造流通しました。世に言う皇朝十二銭ですが、空海の頃は主に「富寿神宝」と言う日本で6番目に古い貨幣が流通していたはずです。
時に、平安貴族の財源は必ずしも荘園から調達したものではなく、むしろ官職に応じた国家からの給与として渡される用地からの産物や禄などが主な収入だったようです。
この与えられた給与が主要収入でしたが、藤原一門ではその当主の給与だけで現在の貨幣価値に換算すれば3~5億円程度であったと言われています。
貴族と、荘園で働く一般庶民との格差はさぞ大きかっただろうと推察されます。
ところで、平安時代のヒトの平均寿命が30~40歳とされていますから空海さんは61歳で入定されていますので長命でしたね。
一方、朝廷が発行した貨幣も思惑通りには流通しなく、多くの庶民は従来通り米や絹布を「現物貨幣」として使っていたようです。
仮に金(ゴールド)を持っていても、一度それを米に換えないと物を購入できなかった様子が当時の今昔物語などに出てきます。
「米」本位貨幣制度、「米」本位資本制度だったのですね。
現在も同じで、資本の論理により、貧富の差は増々広がっているようです。
いま世界のリーダー、日本のリーダーが新しく選ばれようとしています。
米国ではハリス候補は「中間層の復活」を揚げています。
日本と米国の家計金融所得資産は14.5兆円:540兆円と、米国の方が約40倍も多いのです。相対的貧困率は日本:米国=15.4%:15.1%で、僅かながら経済格差は日本の方が高いのですね。
日本は主要7ヵ国(G7)の中でも、最も貧困率が高いようです。
ですから株高でも消費が伸びないのでしょうか?
本日のボンドランチ
上野精養軒のビーフシチュー