2023.02.27社員ブログ

科学不信の碑・・・・

本日もアイボンドブログをご覧いただきまして誠に有り難うございます。

2月も明日で終わり、3月に入ります。間もなく東日本大震災発生(2011年3月11日、マグニチュード9.1)から12年になりますが、その1年ほど前(2010年2月27日)には、南米チリで東日本大震災に迫る規模の大地震(マグニチュード8.8)が発生しました。チリでは1960年5月22日にも大地震(マグニチュード9.5)が発生しており、これは観測史上世界最大の地震です。チリでは2つの大地震後の数年以内に、地震が誘発したとされる近隣の複数の火山噴火が起こりましたが、ここで、日本の地震と火山噴火に関連するお話をひとつご紹介します。

鹿児島県桜島の東桜島小学校の校庭に桜島爆発記念碑と刻まれた石碑があります。大正時代に発生した桜島大噴火を忘れないために住民が建てたものです。一見すると普通の石碑にみえますが、裏には特異な文章が刻まれています。測候所への不信と怨念が刻まれた石碑は、科学不信の碑と呼ばれるようになりました。

1914年1月12日午前10時頃、桜島は大音響とともに大爆発を起こします。噴出物の量が多かったことで知られ、有史以来の日本の火山噴火としても、浅間山の天明噴火(1783年)や富士山の宝永噴火(1707年)を超える大噴火となりました。それまでの桜島は鹿児島湾内に浮かぶ10km四方の火山島でしたが、噴出した大量の溶岩は島内の集落を埋めつくしたのち、最初の噴火から1週間後の1月29日に、深さ80メートル、幅400メートルあった瀬戸海峡を埋め、桜島を大隈半島と陸続きにしています。莫大な火山灰は大隅半島を覆って四国、中国、近畿へと降り注ぎ、関東や東北でも降灰が確認されました。遠くカムチャツカ半島まで火山灰が到達したともいわれています。1年半以上続いた噴火活動により、降り積もった火山灰が山地を荒廃させ、河川では雨が降るたびに土石流や洪水を引き起こし、たびたび犠牲者を出しました。住民はその後も2次災害に悩まされています。

実はこの噴火のかなり前から、島では噴火の前兆とみられるような異常現象が相次いで起こっていました。前年1913年7月下旬の三日間にわたって地震があり、また、島南側の谷間にある窪地で親子が急死する火山性ガス中毒事故が発生しています。12月には井戸水が止まったり、水位の低下がありました。大噴火の数日前からそれがひどくなってきたため、不安を募らせた住民のなかには自主的に避難する人たちも出はじめています。1914年1月9日の晩から地震が頻発し、12日の朝までに330回以上も観測されました。山頂から砂塵を巻き上げて崩落する岩石の音が鳴り響き、井戸から水があふれ出したり、海岸から熱湯が吹き上がるなどの異常現象が起こっています。不安になった当時の村長は地元の測候所に何度も問い合わせをしましたが、所長の答えは毎回、噴火の心配はない、でした。そこで村長は住民を安心させるため、避難の必要はないと説いて島内を回っています。そうしたなかで、大噴火は発生しました。

災害がようやく落ち着きをみせてきた噴火10周年となる1924年1月、後任の村長は噴火の教訓を後世に残すため桜島爆発記念碑を建立します。そこには噴火当時の村長が語っていた、「理論を過信せず、異変に気づいたときには避難せよ」との強いメッセージが添えられました。現在の科学技術でも、地震や火山噴火の100%予知は難しいとされています。2007年11月の気象業務法の改正によって予報・警報に地震と火山が追加されてから、気象庁は火山の噴火予報をおこない、噴火警報を発表することが義務づけられましたが、それまでは気象の予報をおこなうものの、地震や火山の現象についての予報は業務外とされてきました。

さて、弊社は全国で不動産を所有していることから、自然災害のリスクについては十分に注意を払っていかなければなりません。適切な管理をおこない、居住者や利用者の皆様が安心できる空間づくりに努めて参ります。

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