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明日は建国記念の日です。古事記や日本書紀によれば、紀元前660年、初代天皇とされる神武天皇が橿原の宮にて即位されました。毎年、奈良県の橿原神宮では、建国創業の御聖業を景仰する国民の祭典として、紀元祭が厳かに斎行されています。建国記念の日の趣旨について、国民の祝日に関する法律は、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と規定しています。
建国以来、星条旗への忠誠と結束を誇りとし、愛国心の旺盛な国とみなされている米国(近年はその低下が目立ってきている。)では、トランプ氏が新大統領に就任してから3週間が経過しました。世界は新しい時代に向けて歩みはじめ、今後は、行き詰まる国際紛争も一時的に終結に向けた動きが出るかもしれませんが、抜本的な解決に至ると楽観的にみている人は少ないでしょう。根深い地政学的な対立構造は、これからも人類に影を残し続けそうです。将来的に対立構造が煮詰まるのであれば、一定の地域に限られていた不安定性が世界中に飛び火する可能性も否定できません。最悪の事態も考慮すべきであり、ここでは過去に起こった最悪の事例ともいえる太平洋戦争の、その終戦期における日本の株式市場について、少し触れてみます。
1945年8月に太平洋戦争が終結し、日本の株式売買は、同年9月に店頭取引がはじまったとされています。証券取引業者は相対で株式を取引し、いち早く復興のための準備にとりかかりました。終戦処理について思考停止する政府に比べ、庶民の活動はたくましいといわざるをえません。店頭取引は更に集団取引に発展し、特定の証券取引業者が特定の場所に集合して売買を集団でおこなうようになりました。1949年5月に証券取引所が再開されるまでの株式取引は、この集団取引や店頭取引により執行されていきます。
1946年2月、新円切換とともに預金封鎖が実施され、株価は暴落しただろうと思いきや、実際はそれほど下落しませんでした。というのも、預金封鎖が実施されても、一定程度は預金の引き出しが可能であったことや、当初は止められていた封鎖された預金での株式購入が可能になったからといわれています。しかし、これも短期間で息切れしてしまいました。
1946年8月、株価は2割以上の大幅な下落を迎えます。封鎖預金と新円取引の2本立てで取り引きできたものが、新円取引1本立てに集約されたためです。預金封鎖直後は、封鎖された預金で株式を購入し、その株式を売却して新円で現金化することが横行していました。そのため、封鎖預金での買い意向が強く、反対に新円取引では売り意向が強くなり、両取引で25%程度価格が乖離したといわれています。封鎖預金での取り引きの停止が8月になされた影響で、価格調整が起こり、値崩れに至りました。
国際紛争が止むことのない現在、協調へと振り子が振れる時代をつくるためにも、過去の戦争による市場破壊の凄惨さを再認識する必要があります。それは株式のみならず、不動産市場においても同様であり、弊社でも見逃すことはできません。