2025.04.21社員ブログ

米・・・・

 本日もアイボンドブログをご覧いただきまして誠に有り難うございます。

 昨日は二十四節気の穀雨。暦便覧(江戸時代の暦の解説書)には、春雨降りて百穀を生化すればなり、と記されています。穀物に実りをもたらす雨が降り注ぐ頃となりました。この時期は茶摘みがはじまるお茶農家や、苗代を仕込む米農家にとって大事な時季です。春の柔らかな雨に大地は潤い、新芽や若葉は育っていきます。若葉萌える新緑の季節、木々の緑も雨上がりは一層鮮やかでしょう。

 昨年6月頃にはじまった米の価格高騰という異常事態は、令和の米騒動と揶揄され、秋になって新米が出回れば落ち着くという農林水産省の当初の見立てとは裏腹に、年が明けても収まる兆しはみられませんでした。米価の高騰から、流通の円滑化を目的に政府の備蓄米が放出されるのは初めての事例となっています。政府備蓄米の放出に関わる運用ルールは、凶作や大規模災害時に認められていましたが、ようやく今年1月末、1993年の平成の米騒動をきっかけにつくられた法律(主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律)の改正がなされ、備蓄米放出できるようになりました。

 実は以前からも同じような法制度は日本にあり、戦時中の食糧管理法や、大正時代の米穀法、江戸幕府が各大名に1万石につき50石のコメの備蓄を命じた囲米(かこいまい)制度、平安時代に飢饉に備えて穀類を蓄えておく義倉(ぎそう)などもこれに類するものでしょう。米は日本人の主食なので、古来、災害や飢饉に備え、価格の安定のために中央政府による備蓄米の放出が度々おこなわれてきたようです。日本書紀には、1500年前、宣化(せんか)天皇が、「食糧は天下の基本であり、たとえ黄金が万貫あっても飢えを癒すことはできず、真珠が千箱あっても寒さをしのぐことはできない。」と述べ、非常時に備えて那津(なのつ=現在の博多付近)に各地から集めた食糧を保管する官家(みやけ)をつくらせたという詔勅が記されています。官家は屯倉、屯家、御宅、三宅、三家とも書かれ、家や倉、水田などが付属した直轄地を指し、大化の改新で廃止されるまで大和朝廷の経済的支配の基盤となりました。

 さて、江戸末期の1855年11月に発生した安政江戸地震では、江戸市中だけで死者1万人という大災害となったものの、江戸幕府が緊急対策マニュアルを整備していたことから、地震発生の僅か数時間後には、米などの無料配給と物価抑制のための公定上限価格の設定が即座に実行され、それ以外にも、市中のパトロール強化、死者の無料埋葬、義捐金が配られるなど、復興策も次々に実施されました。危機管理体制が機能していたおかげで、江戸の町は震災からたった数年の短期間で復興を遂げています。弊社でも上場企業として相応しい危機管理体制を構築しており、災害時などには、それに基づいて行動していかなければなりません。

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