きれいな朝焼けから始まり、昼は晴天の陽射し、強い南風も吹いて少し歩くと汗ばんできて、ダウンジャケットはいらない春本番を思わせる快適な一日でした。初の大学入試共通テスト、受験生はどんな思いで臨んだのでしょうか。
そんな先週末から、風はないのですが気温は10℃も急降下し、曇り空の薄ら寒い一日となった昨日、ちょっと用事で日本橋は茅場町辺りに出かけました。
その道すがら、オッと、際立って注意を引く光景に出会いました。
そこには「日本資本主義の父」と云われ、2024年から1万円札の顔になって登場してくる、渋沢栄一翁の写真と、そこが銀行発祥の地であることを示すボードが揚げられていました。ここは渋沢栄一翁が中心となって、明治6(1873)年に日本最初の銀行として開業した「第一国立銀行」の跡地のようで、現在はみずほ銀行の支店が建っています。
また、翁はNHK大河ドラマ「麒麟が来る」の後、2月から始まる「青天を衝け」の主人公でもあります。
生涯を通して約500の会社を設立し、学校や病院など約600の公共事業に携わり、近代日本社会、経済の基礎作りに大きく貢献したと書かれていました。
勿論、これら業績は大へんなものですが、渋沢翁の心底には強い使命感があり、当時の日本が抱えていた多くの国や国民のニーズと危機感に応えようという意欲が、その使命感を支えていたのだと思います。
小生が一番興味を引かれましたのは、幕末時代にフランスに、パリ万博使節団として15代将軍徳川慶喜の弟徳川昭武に随行して1年余り滞在し、近代国家の在り方と機能を勉強し、帰国後新政府にスカウトされ、民部省改正掛という近代化の要で、4~5年間過ごした実務体験がその使命感を裏打ちして、大きな功績を残すことになったようです。
なかでも面白いのが、廃藩置県に伴う藩札の整理について、改正掛であった渋沢栄一翁は時価換算による交換(円銭里)をするため当時の1億円相当の莫大な新貨幣の供給を行ったといわれています。
現下のコロナ禍で政府の財政拡大による、日銀の莫大な資金供給に似ていますが目的が全く異なります。
明治時代には維新政策が功を奏して、日本は目ざましい経済成長により、膨張した財政を吸収できましたが、現在の日本経済はジリ貧と低成長が30年近くの永い間続いていて、GDPも一向に上向きません。
もし、現在渋沢栄一翁が生きていらしたら、改正掛として、この後のコロナ禍経済をどのように改正収拾するでしょうか。
本日も、小生のブログにアクセス頂きまして、ありがとうございます。
年頭5日に、今年の世界10大リスクが米調査機関により発表されていました。
1位がなんと明後日に就任式が迫った米国第46代大統領となっています。2位がコロナ禍、3位が気候変動対策……となっています。
どこにも経済的リスクであるコロナ禍による、世界中でジャブジャブに供給された、資金インフレ懸念を考えていないかのようです。誰もこれをリスクとは捕らえずに心配もしていないように見えます。
もし、さらに変種のコロナウイルスなどにより、コロナ禍が拡大すれば、国債発行で中央銀行による資金供給、即ち「紙幣をもっと刷ればいい」と云うMMT理論がまかり通ることになるのでしょうか。
と思っていたら1月13日の日経に、昨年末米金融機関の調査によれば、経済的には、市場を揺るがす最大のリスクは「インフレ」だと報告されたようです。それでも2位で1位はやはり経済的にもコロナでした。
もう既に、接種が始まっているワクチンが効いてくれば、金融緩和の長期化が揺らぎ、その先、金利上昇でもすれば、今迄の株式市場の前提が崩れ、あらゆる市場で大混乱が起きるかもしれません。
そうなれば、これはリーマンショックの比ではなく、想像もつかない経済崩壊に発展する可能性があります。
こんな時こそ、渋沢栄一翁のような大きな視野で、日本企業の生産性を上げ、再度グローバル展開する時ではないかと考えます。
それにしてもいつも感心するのは、NHKの大河ドラマのプロデューサーは、時代背景の捕らえ方がうまいですね。
平成バブルの真っ只中では、確か「秀吉」を取り上げていたと思いますが……
本日のボンドランチ
渋沢栄一の出身地
深谷ネギの入った刀削麺