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明日は二十四節気の穀雨。暦便覧(江戸時代の暦の解説書)には、春雨降りて百穀を生化すればなり、と記されています。穀雨の前は清明、後は立夏と、徐々に夏が近づいてくる季節です。穀雨の終わりには、農作業に縁起のよい日とされる八十八夜もやってきます。穀雨の時期の雨は百殻春雨とも呼ばれ、あらゆる穀物を潤し、育てる恵みの雨と考えられてきました。作物を上手に育てるためには、この穀雨の前に種まきを終える必要があります。そのため、昔は穀雨を目安として作業の準備がおこなわれました。自然相手の経験から学ぶことは大切でしょう。
東日本大震災発生から既に10年が経過し、多くの日本人にとって、今年は震災を振り返り、あらためて防災について考える機会になっています。日本は地理的な状況から、地震や台風をはじめ、これまで数多くの自然災害に見舞われてきました。その教訓を生かし、堤防や盛土の整備、ハザードマップの作成といった様々な取り組みがなされていますが、こうした災害へのハード面の取り組み以外にも、災害に見舞われたときの様子や教訓を後世に残そうと、自然災害に関わる伝承が各地に残されています。
そのひとつが、自然災害伝承碑です。先人たちは、自分たちが経験した災害の被害状況を後世に伝えようと、碑として残してきました。古いものでは、千葉県一宮町に1694年に建立された延宝の津波供養塔があります。これは1677年に発生した津波によって約150人が亡くなるなどの被害を受けて、犠牲者の供養のために17年後に建てられたものです。また、埼玉県加須市には1774年に建立された寛保二年水難供養塔があります。1742年に起きた長雨や大雨で、約90メートルにわたって堤防が決壊し、利根川などの河川の水が溢れ出しました。この洪水で亡くなった多くの人を供養するために建てられたものです。東日本大震災でも、教訓を後世に伝えようと、新たな碑が建てられており、国土地理院のホームページには東北地方を中心に60基が紹介されています。
岩手県宮古市姉吉地区では1896年と1933年に大津波の被害を受けました。同地区には、当時、村民のほとんどが犠牲になってしまった悲惨な状況を伝えつつ、「此処より下に家を建てるな」と記した自然災害伝承碑が建っています。住民はその言葉を守って、海抜の低い場所には家を建てていなかったため、東日本大震災時には1軒の住宅も被害に遭いませんでした。
伝承のもうひとつは自然災害に関わる言い伝えです。三陸地方には「津波てんでんこ」という言葉があります。これは、「津波が起きたら、てんでばらばらに高いところに逃げて、まずは自分の命を守りなさい。」という意味です。この地方は昔から数多くの津波被害に逢いました。津波の犠牲者をひとりでも減らしたいという思いがこの言葉には込められています。確かに言い伝えのなかには学術的裏付けの乏しいものもありますが、地元でどんな伝承が残っているのかを知ることで、地域住民の防災意識を高めたり、防災教育として活用されることが期待できるでしょう。
自然災害に関わる伝承があっても、その貴重なメッセージが地元住民に忘れられてしまうことがあります。長い時間が経過していること、昔に比べて人口の移動が激しいなどがその理由です。例えば広島県坂町では、2018年7月の西日本豪雨災害で、死者行方不明者18名、全半壊家屋が1250棟を超えるという甚大な被害を受けました。この地区には1907年に起きた大水害の被災状況を伝える石碑がありますが、地域に暮らす人々にその伝承内容は十分に伝わっていませんでした。
弊社では全国に多数の不動産を所有し、また、今後もその数は増えていきます。ハザードマップなどでの状況の確認はもとより、地域の伝承についても気にかけていければと思っています。