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早いもので、8月も明日まで。子どもたちの夏休みも終わりますが、始業式の9月1日は防災の日でもあり、新型コロナウィルス感染に十分注意しながら、防災訓練をおこなう学校も少なくないでしょう。防災の日は、いうまでもなく、1923年9月1日に発生した関東大震災にちなんで、1960年に制定されました。また、毎年この時期は、台風の襲来がよくあるとされる二百十日を含んでおり、災害への備えを怠らないように、との戒めも込められています。
戒めということでいえば、東日本大震災直後となる2011年3月末、政府の中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」から、過去の災害教訓をまとめた冊子『災害史に学ぶ~海溝型地震・津波編』が刊行されました。これは政府の専門調査会において、2010年2月から作成がすすめられていた冊子ですが、未曽有の震災被害を受け、数多くの教訓や知見が今後の対応に役立つだろうとの思いから、編集途中の状態のまま、公表されています。この冊子のなかで大きく取り上げられて話題となったのが、『此処より下に 家を建てるな』と刻まれた先人の石碑「大津浪記念碑」です。岩手県宮古市重茂姉吉地区の海抜60メートル地点に建つもので、当時、報道などでご覧になった方もいらっしゃるに違いありません。防災の日も近いので、ここであらためて碑文を紹介します。
高き住居は児孫の和楽
想へ惨禍の大津浪
此処より下に家を建てるな
明治二十九年にも昭和八年にも
津浪は此処まで来て部落は全滅し
生存者僅かに前二人、後に四人のみ
幾歳経るとも要心おせ
明治三陸地震大津波(1896年)では、この姉吉集落で60人が亡くなり、2人だけが生き残りました。その37年後の昭和三陸地震津波(1933年)では100人以上が亡くなり、生存者は4人だけです。2度にわたって大津波による壊滅的な被害を受けた姉吉集落の住人らは、後世のために、この石碑を建てています。それから78年後に起った東日本大震災では、この石碑のある地区へ遡上した津波の高さは40.5メートルで、石碑の教えを守り続けてきた住民ら(当時、約40人)には被害がありませんでした。
三陸沿岸は869年以降、記録に残るだけでも数十回を数える津波に襲われている津波多発地帯です。明治三陸地震の死者・行方不明者は約2万2000人、昭和三陸地震は約3000人、東日本大震災は約2万2000人となっています。三陸沿岸に残る津波の石碑は青森県・岩手県・宮城県の3県で317基が確認されているそうです。不動産賃貸業を営んでいる弊社にとっても、防災は極めて重要な課題であり、先人たちが残してくれたものから、多くのことを学んでいかなければなりません。