2020.02.17社長ブログ

二の午祭と管理通貨

いつもながめている風景が、朝からの小糠雨のせいで煙って見え、ファンタジックな雰囲気の急坂を登っていくと、前方に何か白いものが、近づくと白梅だとわかります。

四谷のパワースポットと云われる小さなお社のお稲荷さんは、もうそばです。

今日は恒例となりました二の午祭が行われます。雨模様とCOVID-19の流行もあり、取り止めになるのではと思いつつやってきましたが、もう既に人は集まってきていて、神主さんも傘をさしかけられながら現れました。どうやら二の午祭は始まるようです。

長い祝詞のあと、主だった者による玉串奉奠となります。傘を脇に置き、レインコートを脱いで手にかかえて順番を待っていると、そっと傘をさし掛け、コートを預かりますという風情で手をさし出してくれる人がいます。振り向き見れば、代々四谷に住んでいる本屋さんのご主人でした。

式が終わった後の立ち話で、面白いお話をして頂きました。

それは、あの有名な三島由紀夫さんが生まれ育ったのが、今のあの家で、小説の中にもこのお稲荷さんはよく出てくると云っていました。また来年は没後50年となるので三島由紀夫さんの著作権も切れ、いろいろな出版社から出されるのではと思っていたそうですが、実は保護期間が没後70年に延長されたなどなど興味津々でした。

絵馬を奉納して帰宅後、二の午祭で頂いたお弁当を食べ、食後は金曜日のバレンタインチョコの中からと、開けたらチョコならぬ入浴剤でビックリ。もう少しで食べるところで自分でも笑っちゃいました。

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あっ、そうそう「午」の字はちょっと霞んだ目には「牛」と読み違えそうですね。

それではなぜ、午の日にお稲荷さんのお祭をするのかと思いますよね。

それはどうも、稲荷神社の総本宮伏見稲荷大社の創建が711年、和銅4年の2月初午の日であったことに由来しているようです。

和銅と云えば「和同開珎」ですね。和銅元年、日本で鋳造発行された初の流通貨幣と云われています。

この頃は現在のような管理通貨制度(発行量を当局が調節することで物価の安定や経済成長などを図る制度)などという考え方はなく、ただ物々交換では不便なので、持ち運びしやすく交換できて、皆が認める一つの尺度となれば良い、ぐらいの考え方だったのかもしれません。

それから様々な歴史を経て、近世になって通貨も徐々にグローバル化して各国とも一時は「金の保有量」によって通貨発行量などが決定され、経済状態が左右される「金本位制」をとっていました。しかしある時から「国家」による「管理通貨体制」へ移行したと云われています。

ある時とは1929年10月24日「暗黒の木曜日」のことで、ニューヨークウォール街で株価が大暴落するところから始まったようです。

そこから世界的な大恐慌となり、それを断ち切るための方策としてとられたのが、金本位制を放棄しての管理通貨体制でした。

それは、1931年:イギリス・日本、1933年:アメリカ、1936年:フランス、1937年:ヨーロッパ主要諸国へと広がりました。即ちこのことは「国家権力」による景気変動のコントロールと、そのことに対する国民の信頼が基盤になっていることは云うまでもありません。

勿論、現在の日本も同様です。ここまで金融緩和が進み、まだこの先も続くとなると、いつか「コントロールが難しくなった」などとは絶対聞きたくないセリフですね。

当社のi-Bondは居住用レジデンシャルの賃貸料を分配原資にしておりますので、不動産本位の安全商品と云うことが云えます。人の生活のある限り、この「不動産本位体制」がなくなることはないと考えています。

どうぞi-Bondを宜しくお願い致します。

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本日のボンドランチ

二の午祭でいただいたお弁当と入浴剤

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